コラム

「女シリーズ」


「女その一」


 「ねえ、聞いて下さい !!、今時の若い女って何を考えているのわからない、 もうついて行けないんだから」と、私は笑いを抑えるのに苦しんだ。それというのも、そうい彼女自身、離婚暦二回、そして今はヤモメ暮らしのヤング・オールドといい仲のキャリヤー・ウーマン。 セールス・レデイとしての彼女の実力には敬意さえ感じていたのだったが、東京並の進んだ考え方にはもうついて行けないと思っていたからだった。


 「一体どうしたのかね」と聞くと、先日、新婚間もない若奥さんに金融商品の契約を戴き、形通り申込書に記入をお願いしたら、死亡時の受取人の欄にきて、「ここはどう書くの」と尋ねられ、「普通、御主人様のお名前が多いですよ」と申し上げたら、「いやだあー!! あんな奴に」 とおっしゃったそうな。真剣なお顔で。 もう堪えきれずに大笑いさせてもらった。
 

 だが、考えてみると、そのお方は本当に正直なのだろう。中身のない夫の実相を知るのに旬月も要しなかったのかも知れない。当市でも最近、若年母子家庭の増加が問題になっている。

 娘さんよ、男はカッコ良さだけで決めたらあかんよ、向上心だよ、誠実さだよ。足の長さじゃないんだよ。ハートだ、ハートなんだよ。

「女そのニ」


 昼前の十時過ぎ、松江の駅前通りのテイールームでブルーマウンティンを静かに味わっていると、セールス・レデイ風に上手に着こなした三十歳前後の四・五人のグループが入ってきた。彼女たちは実に楽しそうに話し合っている。


 そのうち、「あなたうまい事したわね」、「本当に羨ましいー!!」とか、「私もそうなりたいー!!」 など切実な声が聞こえてくる。どうやら話題の中心人物は三歳の子を抱えて離婚し、一ヶ月もたたないうちに六歳下の青年にプロポーズされ有頂天の御様子。「子供がすっかりなついちゃって」、「彼、私に夢中なの」だそうな。

 真に奇特なお話で結構なこと。もっとも、昔からウブな男は紅灯の下で分け知りの姐さんの手ほどきを受けたもので、話題の御当人は今そのお役を演じているのに気付いてないようである。腐っても鯛とはいうが、容姿や美貌なんてはかないもの、長続きさせるには別の要素が求められよう。


 十九世紀の英国で、祖父の莫大な遺産を相続したアンジェラ・バーデッド・クーツ女史は歴史に残る女流社会事業家として名をはせたが、どうしたことか、六十七歳になって三十歳のアメリカ青年と結婚し、九十二歳まで仲むつましく暮らしたという事実も彼女の財産とは無縁のことではなかったのだろう。
 結婚難にあえぐ現今の青年達にとって、このようなケースも一つの選択になるのだろうか。


 
青年よ大志を抱け!!


「女その三」


 境港市役所の中庭の櫻は今年もまた見事であった。特に七-八本の老木の爛漫たる装いは素晴らしく、櫻の樹齢の長さを感じさせられた。

 人間社会にあっても人生八十年を象徴するかのように、カクシャクたる高齢者が増加しているのは喜ばしい。特に中・高年女性のお達者ぶりは目覚しいものがある。四十にして初めて喜びを知ったとかの塩沢女史などは別格としても、近時、往年の銀幕のスターたちがあでやかな熟女ぶりで次々とブラウン管に登場してケンを競い、五・六十代こそ女の盛りであることを誇示している。


 芸能界のみでなく、山口洋子の「雨になりそうな風」に見られるように、女流作家の面々が作中のヒロインを通して自らの性を大胆に語り始めた。神秘のベールを剥ぎ取った後の小説のモチーフはどうなることかと他人ながら気にかかる。


 自らの中の女の目べりに反比例してここを先途とばかりのあせりと不安が彼女たちをかき立てるのだろう。この内にこもる燃え足らない渇望を何らかの創造に転化させなければ、世の中ウレウレ、ムチムチ・ムードが蔓延し、ために男たちは血圧が上昇して寿命を縮めることにもなりかねない。真に寒心に耐えないと思うのである。


「女その四」


 古来からの名言、格言には世情を痛烈に風刺するものが少なくない。中国では「上に政策あれば、下に対策あり」が常に常識になっている。我が国でも近年特に多用されている。また、フランスの名言「愛のない結婚は、結婚のない愛を生む」も我が国でも花盛りである。


 ここで特に取上げたいのは不朽の名言、
「女賢くして、牛売りそこなう」についてである。女性の意識の改革は目覚しいものがある。これは認める。また、駄目男よりもしっかり者の女の方が使える。これも同意。しかし、あれは何時の参院選挙の時だったか、消費税反対の「マドンナ旋風」が吹き荒れたことがあった。なにがマドンナか、漱石が聞いたら泣くわ。黄色い声で絶叫し、国家百年の計の下で構築された折角の税制改革(直間比率の見直しを含む)を市井の感情でぶち潰すつもりか。

 政治に打ってでるなら台所感覚が生きる市議会で女性議員が多数を占めてもらいたい。女性の潔癖性や正義感などは地方の小都市の市議会にとって基本的に重要な要素なのだから。

 だけども、外交、国防、教育、経済などの分野は将来の洞察力や蓄積した専門知識と判断能力を要するので、男に任せた方がいいのではなかろうか。


 やはり、女は優しいがいい。亭主をうまく煽てて稼がせ、家庭を憩いの場にすることが第一の努めである。混沌たる世情の中にあって苦悩する男たちにとっての明日への活力はなんたって慎ましく、気品ある淑女の存在なのである。フルート奏者のあの山形由美のような、そして紀子様のような。

                                    

「女その五」

 最近、テレビで見る女性アナウンサーやニュース・キャスターの中で口元のルージュの色が肌色に近いのが少なくないのに気がついた。何を今頃といわれるかも知れないが、本当にある日、突如として気がついたのである。

 そして改めて周囲を見回してみるとこの傾向は広く及び、特にアフター・ファイブに一汗流すキャリヤー・ウーマンに顕著であることが分かった。いやむしろ、あるがままの自己を主張し始めたといってもいいだろう。

 近時の女性の活力の向上と行動的な日常生活のため、素材さえ良ければ手間、ひまかけて造作する必要のないことに思い至ったのだろう。ユニセックスの時代とも云われる今日、男性の化粧化と女性の化粧離れが同時に進行していることは興味あることで、これを男女間の主導権転移の遷移過程としてとらえることもできよう。

 だが、その本質は何か別のところにあるような気がする。即ち、健康な肌色に近い唇はそこはかとないエロチズムを発散し、返ってそそられる思いがすることを敵は十分に心得え、計算済みのことかも知れない。

 これに対して徒然草の第百七段に言う「ただ迷いをあるじとして、かれにしたがう時、やさしくも面白くも覚ゆべき事なり」で、応ずるも可。  しかし凡人は「君子危ふきに近よらず」が賢明とみた。

 最近は狙われるのは男どもの方なのである。 

 

 

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