5   ニュージャージからの便り


 境高校を卒業して東京の神田外語に進学、同時に、劇団「ひまわり」に入団、NHKの連続番組「若い先生」のレギュラーに出演、長年、非婚族を決め込み、対カナダ貿易商社に勤め、日本とカナダを往復していた長女がやっと見つけた理想のハズはアメリカ人であった。


第一便


 パパへ、お元気ですか、早いもので、四月1日にこちらにきて、もうそろそろ一ヶ月になります。エドが20日から一週間休暇をとってエドのママの誕生日を祝うためノースキャロライナに行きました。途中ホテルに一泊して600kmのドライブです。ルート95は片道四または五車線でメチャ広く、、はるか地平線まで直線なので、かえって眠気が出るようです。ノースキャロライナは私達が住んでいるニュージャージと異なりもうすっかり初夏、いや真夏の感じです。気温は30℃まで上がり、エドと一緒にゴルフに行った時は顔まで真っ赤に焼けてしまいました。

 エドのママは84歳、本当に元気で一人暮らしを楽しんでいます。私をすっかり気に入ってくれました。私からのママへのプレゼントは3月にハワイに行った時に買っておいたピンクのTシャツ。ピンク・カラーが大好な人なので喜んでくれました。エドの妹のダイアンが新しい恋人をつれて来てました。いつもは一人暮らしでも誕生日、サンクスギビング・デーやクリスマスにはこのように親を尋ねるという習慣はアメリカでは普通のことのようです。

 パパ、私は何とかこちらでやっていけそうです。エドが時々、ホームシックに罹らないかと心配して聞いてくれますが、大丈夫です。

 来週、エドが東京出張なので、7段ギア付きの自転車を買ってくれました。ポスト・オフィスまで自転車で10分程で、クリーニング店や小さなデリ(パン屋さん)があるので、エドが不在の時でもなんとか過ごせるようです・

 もう直ぐパパの70歳のバースデーですね。何時までも元気でいてくださいね。バースデー・カードを送ります。



第二便


 パパ、お変わりありませんか。送ってもらった戸籍謄本も含めて車で一時間のニューヨークの日本領事館に婚姻届けを出しに行きました。必要なものは私達の結婚証明書(これは在住地の市長が発行してくれます)とハズのエドの出生証明書(アメリカでは戸籍がなく、病院で出生証明書を出します)、それに私達のパスポートを揃えて窓口に提出したら、膨大な書類を渡され記入に焦りました。領事館の係官がそれはそれは煩く注意をして下さり、例えば、パパの名前の薫は草冠で線が続いてはいけないとか、受理したくない態度が丸見えで嫌気がさしました。最後に「あなたの戸籍は何処にしますか」と聞かれ、従来通りパパの住所にしておきました。それとは別に申請していた永住権が二ヶ月後に移民局から永住権申請が認められ、それからまた長い道のりを経て仮永住権が認められる手順です。その取得前にはエドと二人で面接を受け、その上に私には英語の一般常識とアメリカ史からの試験があるのです。

 日常生活はまあまあ支障なくやってます。だけど色々な面で文化や習慣の差のカルチャー・ショックを受けていますが、よくよく考えれば真に合理的というか、イエスとノーを実にはっきりと表現するのです。

 こちらは9月になってめっきり涼しくなってきました。先日はアメリカ史上始まって以来の巨大なハリケーンがニュージャージも通過しました。我が家は被害は有りませんでしたが州道が洪水状態になったり低地の店舗が浸水したり大変だったようです。あんな凄い雨風(日本の大型台風の5倍ぐらい)を初めて体験しました。アメリカは本当に何もかも巨大です。

 そちらのお天気はいかがですか。まだ残暑の候でしょうね。皆さんに宜しく。 バイバイ



第三便


 パパお元気ですか。

 車の免許を取ることにしました。手順はパパが19960年代にカリホルニアで取った方法と全く同じです。先ず最初に運転免許の筆記試験場に行きました。一人でも二人でも係官が多くの種類の中から「どれにしようかなの感じで」選んだ問題集は30問でした。ドキドキしましたが無事パスし、路上練習運転許可証をくれました。いきなり路上ですからね。最初はエドが教えるというのでエドのバカデカイ車で練習したのですが、結局は個人インストラクターと契約し、その人が乗ってきた中型車で5回計10時間練習し、最後の日は片道四車線のハイウエイで最低時速60マイル(約100キロ)でぶっ飛ばし少し怖い感じがしました。それでOKとなり、翌日、州のビークル・オフィスに馴れたインストラクターの車で試験を受けに行きました。試験官が助手席に乗り、いきなり市街地の通行や、右折、左折、駐車等々の指示とおり運転し、最後のパラレル・パーキングが一発で決まりませんでしたが、馴れればできるとのことで合格しました。日本のように非現実的な迷路のコースなどなく、車の運転は常に前後・左右に注意し、歩行者優先に配慮しているかどうかが判定の基準だそうで、運転技術などは馴れればだれでも上達すると言われました。これが本当なのでしょうね。 直ぐ仮免許証を発行してくれました。兎も角スピーディな事務処理です。費用はインストラクターの教授料を含め日本円で3万円もかかりません。普通の家庭では親や兄弟が教え、その馴れた車で試験を受けるので費用は殆どかからないとのことです。日本の教習所の制度は前時代的なものであることを痛感しました。

 それでエドが早速、私の車を買ってくれるというので、家の近く(車で30分程)のフォードの代理店の中古車コーナーで買いました。車種は95年型の「プリムス・ネオン」、色はブラック、4ドア・セダンです。日本では中古というとポンコツの概念でしたが、それはそれは良く手入れして磨き上げているので本当にきれいです。日本円で95万円程でした。なるべく小さいのと思いましたがこちらには軽などなく、お母さんのオペルよりも一回りも大きいのです。そしてエドはローンが嫌いなので一括キャシュ払い(こちらではチェック(小切手)を切る)で、こちらでは全て小切手払いなのですね。
              
 日本では電気・水道などの公共料金は銀行口座の自動振り替えなのに、こちらでは銀行の小切手綴で全部チェックを切って自分で各支払先に郵便で郵送するのです。本当に非能率で不合理的に思いますが、エドに言わせればこのほうが間違いがなく、また残高の流れが良く分かるとのこと、今はエドが全部やってますので問題はありませんが、日米間では色々な面で違うのですね。

 外から見ると日本の国は単一民族なので、相互信頼を基盤にして随分と合理的、能率的な分野があることを認識しました。 車が手に入ったので、今度は犬を飼うことにしました。次便で報告できると思います。

 パパの健康状態はどうですか、仕事に余り精を出し過ぎないようにして下さいね。


第四便

 はや七月になりました。パパ、お変わりありませんか。
 先週の終りから一週間、カナダのバーモント州のヴァクーションへ旅行しました。行きは家から車で北に向って三時間とちょっとでヴァモンド州に行き、初日は、以前にも泊ったことのある湖の傍のホテルに一泊し、二時間半でカナダのケベックに着きました。私は車で国境を越えたの初めてなので(日本人はもともと島国だし、感覚が分からないじゃないですか)、勿論パスポートと再入国許可証を持って通過しました。クベック(エドはコウベックと発音してました)はとても素敵な所で、オールド・タウンで、パリに似てると言われています。人々の公用語はフレンチで、あとはイングリッシュかスパニッシュを話します。レストラントも全てフレンチ・レストラントで、イタリアンその他の店はありませんでした。
 クベックに二泊し、そこからモントリオールに行き、そこはミニ・ニューヨークといった感じでした。そこで一泊、お天気は少し涼しいかなと思っていたのですが、とても良い天気は熱いくらいでした。
      
                    

                        
 帰りはまたヴァーモント州に下り、エドも私もこの美しい田舎の州がとても気に入ってます。ストウという名前の町に一泊し、ここは冬は雪が深く、スキーヤーが集まります。ここでエドはゴルフをし、そしてまた移動し、湖の傍のホテルに二泊(エドはここでもゴルフを二回、一回は連れて行かれました)。食物はおいしく、空気は良く、家族連れのグループが目立ちました。この二日のうち一回、エドの友人夫婦とディナーを供にしました。お蔭でとても楽しい時間を過ごすことができました。

 いよいよニュージャージに帰る日に、エドが自宅の留守番電話をチェックすると、バッド・ニュースが入っていました。
それは今住んでいる家を売って新しい家に移転するため家の売買契約が終わってほっとしていたのに、何とそれがキャンセルされたのです。何でも私達の家を買う予定の夫婦が大喧嘩の末に別かれてしまったらしく折角の話がオジャンになったという訳です。本当に信じられないでしょう。契約した後だというのに、一転して楽しさが半減してしまいました。家を売るためのオープン・ハウスの間は私が全部自分で電話の取次ぎから家中の案内とか本当に大変でした。それがまた始まるのかと思うとゾーとしてもうウンザリです。エドは気楽なもので会社かゴルフでしょう。こっちの身にもなってよと云いたいところです。

 そういうことでまた家を売るためのオープン・ハウスで買主を待つ毎日です。日本なら全て不動産屋まかせですが、ことらでは自ら新聞広告を出して売り手と買い手の直接交渉が普通なのです。ガードマンがいるレシデント地区、共同の大きなプールがあり、狐やリスが徘徊する閑静な住宅地区で、100坪の庭付き、二階建ての120坪、築7年を3000万円で売るのが目標です。写真の後方の家が今の住居です。

       

     
 それでは今日はこれにて。バイバイ                            幸子より



第五便

パパへ、 はや10月になりました。

 今日は犬の報告です。三ケ所ほど”ドッグ・シェルター”を見に行きました。気に入った犬が三匹程いてどれにしょうかと迷ってます。エドは生来犬好で、以前も"ミニマム"という種類のシベリアンハスキーの2.5倍くらいの大きな犬を飼っていて、犬の話しは私がこちらに来た時からあったのです。エドは國際市場調査部長という職の関係で海外出張が多いのでその留守中のことも考えてのことです。

 こちらではニューヨークまで行かない限り、日本のように犬猫の売買をするような店はなく、殆どの場合、ボランティア団体が不用となった犬を引き取り、飼育して次なる買主を待つというシステムで、お金を出して買うのでありません。そして犬は家族の一員として屋内で飼うものなので、躾が厳格で、むやみの吼えると直ぐさま近所からの苦情がでます。そして朝夕は排泄のため散歩させなければなfらいので引っ張られるような大きな犬は御免です。

 ところでパパの愛犬の柴犬の「志摩」と「麻耶」は元気ですか。東京でOL生活をしていた時、たまの帰省の都度、彼女達と散歩したことをとても懐かしく思い出しています。

 今日はこれまで、 バイバイ



第六便

 パパ、やっと犬を決めました。選択の基準は私が散歩し易いほどの大きさの犬で、ドッグ・シェルターの中で淋しげな目で私を見上げていたテリヤ系の雑種の耳の垂れた黒い犬です。早速「モンチ」という名前にしました。大人しい良い犬ですが、人一倍淋しがりやでちょっと家を留守にすると猛烈に鳴き叫びます。早速隣家から苦情がきました。こちらでは犬をむやみに鳴かせてはいけないのです。

 そう言へばパパのお家の周囲は飼い犬が多く、全部が外で鎖に繋がれていて、実に賑やかな鳴き声の合唱でしたね。懐かしく思い出しています。その点、「麻耶」や「志摩」は中庭で放し飼いなのでまだしもですね。

 ところで、雑種の犬などと言へば日本では「ナーンダ雑種か」の感じで、飼い主も卑下してますが、こちらでは一般には血統や純、雑に関係なく、あくまで個体の評価なのです。姿、色、肉付き、躾等々、このことは雑多の人種で構成されているアメリカ合衆国の基本的な考へなのでしょうね。

                           

 こちらの冬は本当に寒く雪も多いですが、市の責任で家の前まで常に除雪してくれますので「モンチ」の散歩には困りません。来週エドがまたイスラエルとサウジアラビアに出張です。前後10日間ですが、モンチがいるので気がまぎれます。

 間もなくクリスマス。素晴らしいクリスマス・カードを送りますね。l

 皆に宜しく。パパ働き過ぎないようにね。 バイバイ.。



第七便 

  数枚ですが、移転した新居の写真を送ります。三階建で各階に湖に臨む10畳程のバルコニーが備えられ、夏から秋にかけては素晴らしいと思います。 二階のバルコニーの隅にはバーベキュー設備も付いています。

                             
 
 さて、こちらは今、X'masシーズンの真っ盛りで、一年でも一番、全国民がビッグ・マネーを落す月です。ショッピング・モールの商戦の日本の比ではなく、TVのコマーシャル、新聞の折込広告、果ては各家庭へのセールス電話(普通の月でも勧誘電話はおびただしい)等々、凄まじいものがあります。
 殆どの人が友人、家族、親戚、会社の人間へとギフトを選び、ラッピング・ペーパーを選びそして自分達で包装して送ります(勿論、高額な包装代金を払って頼むこともできますが、その装いはとてもガサツで、自分でした方が見栄えが良いのです)。そして、その後は今度は家族で集まるので、国内の大移動となります。高速道路もエアラインも満杯、特に、今は中西部では大雪なので、やっと空港に辿り着いてもキャンセル便が相次ぎ(ついこの前は組合のストで殆どの便がキャンセルでした)、皆いらつき、それでも心は一年ぶりであろう親族との会合に想いを寄せて空港で長時間待っているのです。
 
 私達も今日で無事にエドの親戚などへのギフトを郵便局から全部送り出し、私も日本の友人達や住友商事のメンバーなどクリスマス・カードを10通ほど発送しました。まだあと10通ほど残っているので、今、ダイニングのテーブルの上でこれを書いてます。北海道のお兄ちゃんにも今日出しました。お兄ちゃんは札幌のヤナセの営業拠点の責任者(営業本部長)として大変なようですね。北海道の雪には嫌気がさしているようです。東京勤務が長すぎたので気候の激変に対応できないのでしょうか。長年の東京住まいは私も同じですが、私はアバウト人間というのか何事も気にしないたちなので、北米の極寒にもなんとか耐えられますが。
 そちらも寒そうですね。皆元気にしてますか。来年はパパのヘビ年でしたね。もう全くエトが思い出せず、特にその漢字が頭に浮かびません。
 
 何年か前のお正月で帰省の時、米子の勝田神社に初詣にいきました。あの時のパパの着物姿をとても懐かしく感じています。
 
 私達のクリスマスの予定は23日からキムやマークのいるコロラド州のデンバーに飛んで、そのあと26〜30日まで、ロスかサンフランシソコで少し暖まってくる予定ですが、デンバーも寒く、-13℃でしかも大雪なので果たして運行できるか分かりませんが、兎も角出発します。
  
 もうすっかりここに慣れました。この前、一人で愛車を運転してスーパ・マーケットに行きました。途中で何か事故のためか、ポリスに迂回するよう止められた時は少しビビッテしましました。何しろ、移転後で始めてこの邊を走ったので、ヘタに道を変えると戻りが分からないからです。でも、なんとか家に戻れて ホッ!!でした。
 
 それでは、良いクリスマス&新春をお迎え下さいね。  
 前に撮った写真をニ三枚同封します。  エドもママやダイアンの家族達で、二人の娘は高校生と中学生で、純真で、明るいヤンキーギャルです。   

                           
 
                            幸子

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