伊号潜水艦 


伊-1-14、伊-15-48、伊-52-56、伊-58、60、70、73、伊-121-124、伊-151-159、伊-162、伊-164-166、伊168、169、
伊-171、172、伊174、185、伊-201-203、伊-351-373、伊-400-403、 伊-501、502(ドイツのUボート)、伊-503、504(
イタリアの接収艦)、伊-505、506(ドイツの接収艦)の合計:113隻

昭和17年から、伊-52から伊-75には番号に100を加えることになった。例えば、海大二型の伊-52は伊-152に、海大三
型の伊-53は伊-153に。




  
                      大型潜水艦 特型伊-400、401、402 (航空潜水艦)

                           平安丸は潜水艦母艦

 
伊-19

 昭和12の第三次補充計画により艦隊随伴兼巡洋潜水艦として建造された伊15型(15、17、19、21、23.、25)の
三番艦。甲型にくらべて旗艦設備が不要のため形は幾分小さい。

 主要データ
 排水量:水上、2.600トン、水中、3.700トン、速力:水上、23.5ノット、水中、8ノット、備砲、14cm砲1、25mm機関砲2、
       魚雷発射管6門(魚雷17本)、搭載機、水上偵察機1、航続距離、16ノットで24.400km)


     


           

、              零式小型水上偵察機(潜水艦搭載用)   通称「金魚」


 伊-25は昭和17年9月9日および29日の両日、米本土オレゴン州の森林地帯に対して搭載機による爆撃を行った。

   

 伊-16号  

昭和12年(191937)、 第三次海軍軍備充実計画で計画され、1940年に竣工、 巡潜丙型とも呼ばれた伊一六型の一
-24番艦。同型艦は8隻(伊-16、18、20、22、24、52、53、55)、 
伊-16から伊-24の5隻はは真珠湾攻撃に参加

     
      
     
         
    

      主要データ
      基準排水量:2.184トン、常備排水量:2.554トン、水中:3.161トン」、全長:109.3m、全幅:9.1m、機関:
      艦本2号10型ディーゼル2基2軸、速力:水上23.6ノット、水中、8.0ノット、航続距離:16ノットで14.000海
      里、兵装:14cm単装砲1門、25mm連装機関砲1基、53cm魚雷発射管8、九五式魚雷20本、22号電探1
      基、安全潜航震度:100m, 乗員:95名

      艦橋周りの装備:三基の潜望鏡、方向探知機のループ・アンテナ、測距儀、、25mm連装機関砲、およ
                  びレーダ逆探アンテナ

                                                                                                    
           
               
              真珠湾攻撃用の特殊潜航艇(甲標的)の縛着取付け状態
 
           

               



 
伊-361型
、輸送用潜水艦、潜輸大型、丁型とも呼ばれる。 (伊-361から371の11隻建造)

    

太平洋戦争末期に輸送任務のために12隻建造され、1997に竣工した。本来の輸送任務に利用されたほか、7隻
が改装を受け「回天」攻撃にも利用された。9隻が太平洋戦争で戦没、残りは終戦後米軍によって処分された。

主要データ  
排水量:1.779トン、水中、2.225トン、速力:水上、13ノット、水中、6.5ノット、安全深度:75m、物資搭載量:艦内
65-90トン、艦外20トン、航続距離:水上、10ノットで5..000海里、水中、3ノットで120海里。兵装:14cm単装砲1、
乗員55名

計画当初は陸戦隊110名、物資10トン、上陸用舟艇2隻を搭載する予定だった。特四式内火艇を搭載する計画も
あった。その後建造中に仕様変更が行われ、昭和18年には人員搭載をやめ、物資搭載量は艦内125トン、艦外
20トンと変更された。更に水中航続力増加の要求から搭載量は艦内65トン、艦外20トンとなった。雷装について
は、魚雷兵装は当初艦首に2門の計画だったが搭載量増大のために廃止とされた。第1艦(伊361)のみは変更
が間に合わず発射管装備のまま竣工している」というのが従来の通説であったが、戦後に行われた設計者や乗
組員に対する取材の結果、伊371以前の艦は全艦が魚雷発射管が装備されていることが判明した

昭和20年に入ると大型潜水艦の不足のため、本型も7隻が「回天」搭載艦に指定されて甲板上の兵装を撤去し、
「回天」を前甲板に2基、後甲板に3基、合計5基を搭載するよう改装された。1月に伊367が、その後伊361、伊363
、伊366、伊368、伊370、伊372が順次改装され、回天特別攻撃隊に参加した終戦時には伊366、伊367、伊369
の3艦が終戦時に残存。


ドイツ派遣潜水艦

 第一次遣独 昭和17年、伊-30号。8月6日、フランスのロリアンに入港。帰路にバシー海峡で米潜により撃沈され
          た。
 第二次遣独 昭和18年、伊-8号、フランスのブレストに入港、帰国。
 第三次遣独 昭和18年、伊-34号、往路にマラッカ海峡で英潜により撃沈された。
 第四次遣独 昭和18年、伊-29号、12月17日、シンガポールを出港、帰路、昭和19年7月シンガポール入港、バ
          シー海峡で米潜により撃沈された。


 
特殊潜航艇(甲標的)
  
昭和13年より生産が開始されたが、初期量産型の甲型は母艦からの発進が前提であった為、魚雷と同じ推進
方式を採用、泊地攻撃には不向きであったにもかかわらず、専ら真珠湾やシドニー湾やガタルカナルなど泊地攻
撃に投入され、期待されたような戦果を挙げる事ができなかった。

 その後、局地戦用への道を歩み、前進基地での使用を前提とした発電機を装備した乙型、さらに操縦装置に
改良を加え乗員を3名に増した丙型
、そして最終型である大型化した乗員5人の小型潜水艦である「蛟龍」
(丁型)
に至り、局地戦用の小型潜航艇が完成した。「蛟龍」は沖縄戦に3隻が使用されたのみで、終戦を迎へた
。115隻が完成し、本土決戦用に温存されていた。

 なお、甲標的は正しくは艦艇ではなく、航空機等と同列の兵器である。また、特殊潜航艇は「特別攻撃」であるが
一応は作戦後は乗員のみ回収する事になっており、自殺攻撃兵器ではない(ただし、蛟龍は特攻兵器の指定を
受けていた)。

   

     甲標的・甲型

 名  称    甲標的(特殊潜航艇)・甲型
 建 造 数  36隻(試作艇は除く)
 排 水 量   46トン(水中)
 全  長    23.90m
 直  径    1.85m
 主  機    電動機1基 
 推 進 軸  1軸(二重反転スクリュー)
 出  力    600馬力(水中)
  計画速力   19.0ノット(水中)
 航 続 力  6ノットで8浬(水中)
 乗  員    2名
 安全潜航深度   100m
 兵  装      45センチ魚雷発射管 2基(搭載雷数2本) 

      
  
                  特殊潜航艇(甲標的)
       



甲標的・丁型(蛟龍)
敵艦に対して魚雷若しくは体当りにより攻撃を行う特殊潜航艇、甲標的(特殊潜航艇)を大型化したもので
乗員は艇長(海兵または予備学生出身者)以下、航海、機械、電気、電信各1名の計五名とした。

     甲標的・丁型(蛟龍)

 名  称    甲標的(特殊潜航艇)・丁型(蛟龍)
 建 造 数  115隻
 排 水 量   60.3トン(水中)
 全  長    26.25m
 直  径    2.04m
 主  機    ディーゼル1基 
 推 進 軸  1軸
 出  力    150馬力(水上)/500馬力(水中)
  計画速力   8ノット(水上)/19.0ノット(水中)
 航 続 力  8ノットで1000浬(水上)/2.5ノットで125浬(水中)
 乗  員    5名
 安全潜航深度   100m
 兵  装    45センチ魚雷発射管 2基(搭載雷数2本) 

     
                               甲標的・丁型(蛟龍)




 有翼特殊潜航艇「海龍」

昭和18年海軍中佐浅野卯一郎の着想により、同20年4月量産発令と同時に官民多数の建造所で全力をあげ
て急造、本土決戦に備え,敵艦に対して魚雷若しくは体当りにより攻撃を行う有翼特殊潜航艇、水中特攻兵器
である。SS金物とも呼ばれた。
飛行機の部品などを使って、1945年(昭和20年)に全部で200隻が建造された。通常の潜水艦と異なり、翼を有し
、飛行機のように上昇と下降を行うため、構造が単純で建造を短期間に行うことができた。
終戦までには230隻が完成し、なお、多数建造中であったが一度も使用されていない。
魚雷2発を下部両側に装着発射することになっているが、一部の艇は魚雷にかわり艇首に炸薬を装備することと
し、自動車用機関により量産された前例のない有翼潜水艦であり、軽快に潜航浮上ができた。

意欲的な設計がなされた本型は大型の水中翼を装備しており、戦後の潜水艦に先んじたデザインといえる。
操縦も爆撃機「銀河」から航空機用の操縦装置を流用し、これはジョイスティック装置と呼ばれ現代潜水艦の標準
的な操縦装置である 海中飛行機の発案は、技術的には興味深いが、当時の技術で、少数の乗員が乗艦する潜
水艇が、三次元空間の運動性、安定性を両立させることは困難であった。大戦末期の資材の不足、品質の低下の
中にあって、実用化された海龍の性能は計画値よりも大幅に低いものだったと推測される。人間魚雷回天よりも速
力が大幅に遅い海龍では、たとえ低速の輸送船相手であっても、護衛艦艇に阻止され攻撃は難しかったと考えら
れる。また、艇首の爆薬装備部分は本来、600Lの容量がある前部燃料タンクであり、爆装した海龍の搭載燃料は
480Lの後部燃料タンクだけとなる。この状態の海龍の行動半径は100km以下となり、まともな作戦行動は行えない
。  乗員の多くは予科練教程を終了し、飛練課程にあった甲飛13期から選抜され、飛行服を着装して訓練を受け
た。



                有翼小型潜航艇「海竜」 別名「SS金物」

                  
         「菊水」のマークは魚雷装備の代わりに爆装した水中特攻用を表す
      
               海上自衛隊幹部候補生学校(江田島)に展示





  人間魚雷「回天」

人が乗り組み操縦できるよう、九三式三型魚雷(通称「酸素魚雷」)を改造した人間魚雷。炸薬量は1.55トンあり、
一撃で戦艦でも撃沈できるとされた。(てき)、〇六(マルロク)との別称もある。「回天」は、「天を回らし戦局を
逆転させる」との意味。必死必殺の救国兵器として考案された。 兵器として特性に問題があると指摘された、その
主なものは、

  1. 魚雷改造の艇のため後進ができないこと。
  2. 旋回半径が大きすぎること。
  3. 最大80mしかない潜航深度が母艦の大型潜水艦の深度を制限し水中機動の妨げになること。

回天は艦隊決戦型の駆逐艦、巡洋艦用に採用された超大型魚雷「九三式三型魚雷(酸素魚雷)」を改造したもので
ある。九三式三型魚雷は、直径61センチ、重量2.8トン、炸薬量780キログラム、時速約90キロで疾走する無航跡魚
雷であり,主に駆逐艦に搭載された 。回天は、この酸素魚雷を改造して、全長14.7メートル、直径1メートル、排水量
8トンで、魚雷の本体に外筒をかぶせて、気蓄タンク(酸素)の間に一人乗りのスペースを設け、簡単な操船装置や
調整バルブをつけ、襲撃用の九七式潜望鏡(長さメートル、倍率は倍6倍)を設けた。 炸薬量を1.5トンとして、最高速
度時速30ノットでで23海里の航続力があった。
       

 「回天」の主要要目
 93式酸素魚雷をベースにした一人乗りの特攻撃兵器。全長:14.75m、直径:1m、航続距離:43海里(速力20ノット
時)安全深度:80mm、先端部分に1.550kgの爆薬を装填。
       
              
          

                

           
    




大型潜水艦 特型伊-400、401、402 (航空潜水艦)

     
   
     
   
  主要データ
  基準排水量・3.53.トン、全長:122m、全幅:12m、出力:7.700馬力(水上)、2.400馬力(水中)、速力:18.7ノット(水上)
  6.5ノット(水中)、兵装:14cm砲1門、25mm連装機関砲1基、魚雷発射管:53cm 8門、搭載機:特殊攻撃機機「晴嵐」
  3機、実戦に参加途次に終戦を迎える。。

   
    


 伊-58 後期型


  伊-58は乙型潜水艦29隻の最後の1隻として登場。 戦時急造タイプである伊-54型の3番艦として昭和19年9月
  竣工。 エンジンはそれまでの11.000馬力艦本式1号甲から生産容易な4.700馬力の艦本22号10型ディーゼルに
  変更。水上速力は低下したが、後続距離は16ノットで14.000から21.000海里に向上。22型対水上レーダと13号対
  空レーダを搭載、艦橋にはソナーの超音波を吸収する特殊塗装が施された。また、人間魚雷「回天」の母艦として
  6基を甲板上に搭載可能。

   主要データ
   基準排水量2.140:トン、全長:108.7m、全幅:9.3m、水上速力:17.7ノット、安全潜航深度:80m、53cm魚雷発射
   管6門、乗員:94名、武装25mm速射砲1基




     
     
     伊-58は昭和19年12月、回天特別攻撃隊の1艦tごしてグアム方面に、また翌年4月に沖縄方面に出撃。7月17
    日太平洋に出撃し、7月29日深夜に米重巡洋艦「インデアナポリス」を発見、魚雷6発を発射、2発が命中し、撃
    沈した。乙型29隻の中で伊-36と共に2隻のみ激戦を経て終戦まで撃沈を免れられた。



呂号潜水艦

呂30から39、呂40から68、呂100から117、および独逸から譲渡された呂500の合計52隻、 その他、小型呂-100型が
18隻、 波号(潜水輸送艦、小型)8隻があった。


呂35型(18隻)

 昭和14年の第四次補充計画で、大型潜水艦25隻の建造に続き、翌15年の追加計画では、呂号潜水艦18隻の増勢
を計画した。中型および小型の潜水艦である。この中型の第一寛が呂35である。基準排水量:970トン、水上速力:20
ノット。鈍重な大型艦よりも性能は極めて優れ、乗員将兵の間でも評判が良かった。

 昭和16年度の戦時建造計画で呂44から51の8隻が造られ、さらに追加計画で16隻が計画された。
  
        

        
        

    

参考:呂30、31、32は昭和初年に建造された旧型の艦で、老齢のため作戦に参加せずに昭和20までに除籍された。呂
33は昭和5年のロンドン条約で潜水艦の保有が制約され、大型艦2隻を作るよいりも小型艦を2隻つくるのが有利とされ
、試作艦として海中六型、2隻が完成した。開戦時に2隻で第21潜水戦隊を編成し、大型潜水艦におとらぬ働きをした。

 独逸の潜水艦「Uボート」との比較

       
      
外観の大きさは呂号に近いが性能は遥かに優れ、特に、潜航可能深度は300mに達する。独逸派遣の伊号
水艦を見た独逸海軍将兵はその大きさに驚くとともに、「海中で太鼓を敲いて進む」ような高いエンジン音にも
驚いたと言われる。

主要データ
排水量:1.621トン、速度:水上15.6ノット、水中17.2ノット、乗員:57名、53.3mm魚雷発射管6門、兵装:20mm
連装機関砲2基

Uボートは1.131隻建造され、連合国の商船3.000隻、空母2隻、戦艦2隻をはじめ各種の艦艇を撃沈している。
 

その他の艦種 
   

潜輸小、局地間の物資輸送用、10隻
伊-351、洋上で飛行艇に燃料、弾薬を補給する任務基準排水量:2.650トン
伊-121-124、機雷敷設用、 伊-371-373の3隻は「回転」運搬用艦


     
 

  
               

   

 潜水艦の分類

   巡潜型第一艦大正15年にドイツ人技師テツヘルの設計で完成。
   
ゲルマニア型。
   
昭和5年に就航した伊5は始めて水偵を搭載した(世界で始めて)。
   
伊6は伊1を改良した純日本式の第一艦で、巡潜二型と呼ばれる。
   
排水量:水上、2200屯、水中、3100屯、速力:水上、20ノット、水中7
   
ノット、備砲:12.7p高角砲1門、発射菅:53cm、6門、飛行機:水偵1機。
   
同型艦、伊2、伊3、伊4、伊5、伊6
   
巡潜三型、(昭和9年の第二次補充計画)伊7、伊8
   
旗艦潜水艦の設備を持つ。基準排水量は2200屯以上。水上速力は23
  
  ノット
   
  昭和12年、第三次補充計画により日本海軍は自主的軍備に転向し、
   
 ワシントン条約の隻数や大きさの制限を受けることなく飛躍的に増強され
   
た。

   甲型-
基準排水量:2400屯、水上23.5ノット、発射菅6門、司令部設備を持ち、
   
通信性能が優れ、水偵1機を搭載。伊9、10、11、12、13、14。
   
伊13と伊14は水偵2機を搭載。

   乙型-甲型と同じ要領で設計、旗艦(司令部))設備はなく、基準排水量は
   
2200屯、23.6ノット、水中、8ノット。第三次および第四次計画で建造された
   
20隻に加え、昭和16年度計画で6隻、伊15、伊17、伊19、伊21、伊23、
   
伊23およびその追加分3隻が建造された。

   丙型-巡潜III型の艦型を利用、基準排水量は2180屯、搭載機なし、備砲は
   
14cm砲、発射菅は8門、伊16〜伊24の偶数番号の5隻。
   昭和14年の第四次補充計画で、甲型、伊11と乙型伊26〜伊39が追加建造
   された。また大型艦の建造も行われ、10隻が完成した。伊-176から伊-185で、
   海大VIIと呼ばれ伊-74の改良型である

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