リーダーシップ

     
この論説は平成6年7月、筆者が境港ライオンズクラブの指導力育成委員長の時に作成して会員に配布した資料を平成13年春に大幅に加除、修正したものである。


   

始めに

筆者は昭和31年、航空自衛隊の創設期に米国イリノイ州スコット空軍基地に所在する米空軍通信学校の通信将校課程に留学派遣を命じられた。在学中、技術教育のほか一般教養科目の一つとして「リーダーシップ」を専攻した。その時に教官にリーダーシップの根源(ルーツ)を訪ねたところ、それはジョミニの「兵法大意」に基づいて策定した米国陸軍の「指揮官および幕僚(コマンド&スタッフ)」教範に日本帝国陸軍の「作戦要務令」の真髄を加え、論理体系としての「リーダーシップ」を確立した、との説明を受け強い感銘を覚えたことがある。帰国後、東京都小平市に所在する航空自衛隊幹部学校に入校し、「指揮・幕僚」教範を精読しておおいに関心をそそられ、事後、巻末に紹介する各種の文献を入手してその研究を続けてきたものである。

兵法の原点ともいへる「孫子」の兵法について昭和40年代後半から50年代前半にかけて企業の「経営指針」としての「経営孫子」関連の図書が続々と発行されあらためて脚光をあび、現在に至るも引き続き多くの人々の関心の対象となっている。

ここに君主、王侯および将帥の統率、統帥および各級指揮官の指揮、統御の根源の論理的体系の流れを整理し、その系統を把握し、現在「リーダーシップ」用語で親しまれている「指揮」、「統御」、「統率」および「統帥」の本質について論述を試みることにする。 




1. 総論
   
(1) 導入

 
リーダーシップに関する各学派の教義と見解の多様性

   
   ・リーダーシップの素質は天性、生まれつきなものである。
   ・リーダーシップは一連の原則に還元でき、それを会得すれば誰でも適用することができる。
   ・リーダーシップは管理の過程である。
   ・リーダーシップは伝記や戦史を通して偉人から学ぶことができる。
 

(2) 
リーダーシップとは

リーダーシップ(即ち、統御、統帥、統率、指揮)とは、共通の目的を達成するため、部下を協力させるように感化を起こさせるもので、指揮管理とは不可分の関係にある。 尊敬、信頼、服従の念を起こさせることはリーダーシップの基礎である。 リーダーシップの能力は必ずしも先天的なものではない。 

・リーダーシップは心理学に関係がある。人間が一定の刺激に対していかなる反応を示すかを研究し、良い反応を誘い出し、悪い反応を避けるように扱うことが
大切である。
  
・リーダーシップは倫理学に関係がある。道徳的な行動をとらないリーダーはリーダーシップを発揮できない。それでも時として人気を得ることもあるが、それはあ
くまで一時的なものである。
  
・リーダーシップは意思の自由に関する理論でもある。相手の意思の自由を奪い我が意思に従わさせる事であ る。
  

このように、リーダーシップは社会科学の分野における論理体系を構成する。
 

2. リーダーシップの根源
 

(1) リーダーシップの真髄

    ・まず自ら燃える
    ・理想を持つ
    ・信念を持つ(智者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は恐れず)
    ・権威の根源は信頼である
    ・努力は権威である
    ・最大の被害者となる覚悟を持つ(一切の責任を負う)
 
(2) 
リーダーシップの適用

リーダーシップの適用において、状況判断、決心、命令、実行の4段階を順序よく行なう。 これは軍事における作戦命令を策定する過程の手順や「デミング・サークル」の計画、実行、検査、処置に相当する。


3. 出典(兵法七書)
 

  「孫子」 春秋時代の末期、呉王閻慮(西暦前514〜496年)に仕え、その覇業に貢献した将軍。「史記」 孫子呉起列伝
      兵法書「孫子」は今から2500年前に孫武という将軍により纏められたとされる。
      「孫子」の兵法書は始計篇で始まり用間の計で終わる13篇で構成され、次の二つの前提の上になりたっている。
     

     ・戦わずして勝つ

     ・勝算なきは戦わず

 
各篇の紹介

  
    始計篇 「兵は国の大事。死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず」。 「その無備を攻め、その不意に出ず」

    作戦篇 「兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきを賭ざるなり」

    謀攻篇 「百戦百勝は善の善なるに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」。「彼を知り、己を知る」

    軍形篇 「善く戦う者は勝ち易きに勝つものなり、故に善く戦うものの勝つや、智名なく、勇功なし」

    兵勢篇 「正を以って合し、奇を以って勝つ」

    虚実篇 「「人を致して人に致されず」、「実を避けて虚を撃つ」

    軍争篇 「その疾きこと風のごとく、その徐かなること林のごとし」

    九変篇 「智者の慮は必ず利害に雑う」

    行軍篇 「軍擾るは、将軍重からざるなり」

    地形篇 「進んで名を求めず、退いて罪を避けず」


    火攻篇 「利に合して動き、利に合せずして止む」

    用間篇 「名君賢将のみよく上智をもって間となす者にして必ず大功をなす」

 
「孫子」は合理的な思考を積重ねることにより、戦争に内在する法則性を取り出しすことに成功している。その考え方はあくまで柔軟である。フランスのナポレオンが「孫子」を座右の書としていたことは有名である。

   
  「三略」 漢の張良が黄石公から授かったという兵法書、上、中、下略の三巻からなる。
  
    ・将は士卒と滋味を同じくする
    ・寡をもって衆に勝つは恩(平素の思慮)なり。弱を以って強に勝つは民なり。

  「六稲」 周の太公望が著わしたという六種の兵法書、文、武、虎、豹、竜、犬からなる。(参考:虎の巻)
    
    ・将、仁ならざれば三軍親しまず。将、勇ならざれば三軍鋭ならず。将、智ならずば三軍おおいに疑う。
    ・よく戦う者は形なき(未発)に勝つ。白刃の前に争うは良将にあらざるなり。

   「尉遼子」 戦国時代の兵家、鬼谷子の弟子。尉遼(生没不祥)によるといわれるが不明。24篇、5巻。
  
    ・心狂し、目盲し、耳聾して、人を率いるは難し。
    ・将は心にして、兵は支節なり。心動くに誠をもってすれば支節は必ず勉む。
    ・将は専ら旗鼓を司るのみ、難に臨み疑いを決す。

   「司馬法」 斎の威王の時、古代の司馬の兵法と春秋時代の兵法家、司馬穣の兵法書を合わせ て編したもの。 1巻、5篇
 
   「利衛公門対」 唐の李靖の撰(太宗との問答集)、3巻。
 
   「呉子」 武王に仕えた呉起の篇、1巻。
      
  ・戦いの要はまず敵将を占う。
  ・勇の将におけるは数分の一のみ。
 

これら兵法七書は戦略、戦術のみでなく、その兵法哲理は平戦両時における行動基準を示し、広く経国救世の大経典として重んぜられた。政略と戦略との一
致協調により国の大事を決すべきで、将たる者の徳もここにありと強調している。特に、「孫子」をもって兵法学の聖典としている。

  [参考] 四書とは「大学」、「論語」、「孟子」、「中庸」の総称で、五経典とは「詩」、「書」、「易」、「春秋」、「礼」をいう。 



4. 学問体系としての流れ


1)マキアヴェリ(1469〜1527年) 56歳で歿

  
14世紀のイタリア・ルネッサンス時代、ローマ法王アレッサンドロ六世の息子として緋の衣をまとう枢機卿に列せられたチューザレ・ボルジアはレオナルド・ダビ
ンチの築城に関する科学的技術力を借りながらイタリア全土の統一の野望を持ち、枢機卿からローマ・カトリック教会軍総司令官に転じ、権謀術策を駆使して一時的に中部イタリアを支  配し、異端児、ルネッサンス時代の「メフィストテレス」として糾弾され、不遇の中、神聖ローマ帝国皇帝とスペイン王との戦いの場で
戦死した。32歳。

フィレンツ共和国の特使としてチューザレ・ボルジアとの交渉に当たったニッコロ・マキアヴェリはチューザレ・ボルジアの戦略、戦術を直接観察、研究して体系
ずけ、「君主  論」一巻、「政略論」三巻、および「戦術論」七巻に纏め上げた。それらの関係は、戦術論が軍事理論の組織的、技術的な説明であるのに対し、君主論と政略論はそれらの警句的な示竣を記述したものである。

君主論
    
・用意周到よりも、むしろ果断のほうが良い。なぜならば、運命の神は女神であるから。

・歴史的情勢の変化の前には、いかなる法といえども効力を失うことは歴史的事実である。

・国家にとって厳重な上にも厳重にして警戒しなければならにことは、軽蔑されたり見くびられたりすることである(軽蔑は能力を認めないことにより生まれる 評価である)。

・国家にとっての敵は内外双方に存在する。国内の敵には正義と公正をもって処すればよいが、国外の敵に対しては準備怠りなき防衛力と、他国との友好関係の樹立しかない。そして常に、良き力を持つ者は良き友に恵まれるのである。

・指導者たらんとする者は、種々の良き性質をすべて持ち合せる必要はない。しかし、持ち合せていると人々に思わさせることが必要である。

・君主は人を捨てることを知れ。

・歴史はわれわれの行為の導き手である。特に、指導者にとっては他に求めることのできない程の師匠である。

・人間というののは、困難が少しでも予想される事業には常に反対するものである。

・次の二つのことは絶対に軽視してはならない。第一は、忍耐と寛容をもってしても、人間の敵意は溶解するものではないということで ある。第二は、報酬や援助 を与えても敵対関係を好転することはできないということである。 

    (君主論はマキアヴェリの死後5年、1532年に出版された。その記述の中にはリーダーの条件として清潔度をあげている個所はどこにもない。)


政略論

・中立を保つことは有効な選択とはいへない。中立でいると勝者にとっては敵になるだけでなく、 敗者にとっても助けてくれなかったということで敵視されるのがオチだからである。 

・結果さえ良ければ、手段は常に正当化される。

・どんなに悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそものきっかけは立派なものであった。

・弱体な国家は常に優柔不断である。そして決断に手間どることこれまた有害である。

・人民は単純である。目前の利に弱く詭計にかかり易い。巧妙に偽善を行なえ。

・人間は迫害を受けると思っていた者から僅かな恩恵を蒙ると、より強く感謝する。


・軍の指揮官にとって最も重要な資質は何かと問われれば、それは想像力であると答えよう。
 
・名誉というものは、成功した者だけが得るとは限らない。

・人は大局の判断を迫られた場合には誤りを犯しやすいが、個々のことになると意外に正確な判断を下すものである。

・いかなる政体をとる国家であろうとも、指導者たる者は必要に迫られれてやむを得ずに行なったことでも、自ら進んで選択したかのように思わせることが必要である。 
  
・ある人物を評価するに際して最も確実な方法は、その人物がどのような人々と付き合っているかを見ることである。
   
・謙譲の美徳をもってすれば相手の尊大さに勝てると信じる者は、誤りを犯すはめに陥る。

・好機というものは、すぐさま捕えないと逃げ去ってしまう。

・真に優れた人物は、運に恵まれようと見放されようと、常に態度を変えないものである。

・真の防衛力とは、ハードな面での軍事力だけではない。軍の評判というものは軍事力に数えられるべきである。

・国家にとって、法律をつくっておきながら、その法律を守らない事ほど有害なことはない。

・力量に欠ける人の場合、運命はより強く力を発揮する。

・一軍の指揮官は一人であるべきである。

・軍の指揮官でさえ、話す能力に長じた者が良き指揮官である。

・国家が秩序を保ち、国民一人一人が自由を享受するには、清貧が最も有効である。 

 

戦術論
  
   1〜{2巻は壮丁の選抜と兵隊の装備、訓練
   3巻は戦闘(三線配備)
   4〜7巻は戦闘後の行事、行軍、宿営、築城

「例」 名将の心得  

・より価値あるものは兵士の数よりもその勇気である。しかも時としてはこの勇気よりも地形のほうが有益である。

・兵士は兵営に居住している時は畏怖や刑罰を与えねばならない。しかし戦闘に参加した時には期待と褒賞を与えねばならない。

・武装しない富者は武装した貧者の好餌である。

マキアヴェリの軍事思想の骨子
   

・傭兵制度から一般徴兵制へ、そして常備職業軍人の制度を確立した。

・従来の騎兵から歩兵重視に視点を変えた。

・軍隊の編成の基礎を確立した。(連隊や軍団の兵員数の上限を定める等)

・戦略思想の発展を期した。

・科学的基礎に立脚した軍事問題の検討、戦争は科学であるのみならず、芸術でもあるとした。

・将帥の役割の重要性を訴えた。
  
即ち、優れた指導者という者は、また雄弁家であるということが要求される。部下の剛毅不屈の精神は、指揮官や祖国へ
の信頼並びに愛情から生まれる。


 2) 二人の偉大なる軍事思想家

 

ジョミニとクラウゼヴィッツは同時代の将軍としてナポレオン戦略の研究を、前者はフランス軍に、後者はプロシヤ軍に従軍した相反する立場から詳細に研究
し、その著作により19世紀前期における軍事思想の展開に画期的な役割をはたした。

ジョミニはナポレオンの戦術や戦闘があらゆる時代に有効な基本的原理の応用に基づいていたことを明示した最初の人であった。即ち、ナポレオンの戦略の
合理的要素を   明かにしたジョミニは、クラウゼヴィッツがナポレオンを「戦争の神様」で法則の立案者たる天才として重んじたのに対し、法則を最も重要と
し、それを働かせた道具としてナポレオンを見なしたのであった。ここにも両者の根本的相違が認められるのである。

 

 A) ジョミニの軍事理論

アントアン・アンリ・ジョミニ はスイス人で、銀行員から25歳の時にナポレオン率いるフランス軍に従軍し、13年間のフランス軍将校からロシア陸軍に移り、50
年余のロシア陸  軍の生活を経て1969年、90歳で死去した。その間、一貫して軍事理論の究明と論説の発行に専念し、「大陸軍作戦論」や「兵法大意」を著
述した。その大要において、次の基本的原理を強調した。

   1.兵力の節約

   2.決勝点での優性の獲得

   3.機動力と奇襲による勝利の方式

この戦争についての彼の与えた教訓は、安定したヨーロッパの社会秩序のための、「理知によった制御された制限戦争」の概念に近いものが認められる。即
ち、標準に合った指揮の図表化される戦域における戦争の在り方を求め、その理論を示たものといえよう。

指揮官である将帥の素質と能力について次のように述べている。

「偉大な将帥をつくるものは立派な性格とすぐれた理論の結合である」と。即ち、名将となるためには二つの条件があり、その一つは「如何にして立派な作戦計
画をたてられ  るか」ということで、もう一つは「如何にしてその計画を最も効果的に実行するか」ということである。前者は天賦の才能を研鑚することにより獲
得し、益々進歩向上させること  ができるものであるが、後者は天性によるものなので、個人的性格であるから、学問によって創り出すことは出来ないとはい
え、学問により矯正改善することができるものである。将帥は成功を望むならば、戦争の基本的原理について自ら薫陶しなければならない。

「天賦の才は疑いもなく、幸運な霊感によって最も良く通暁した理論家ができると同じように、原理を適用することができるであろう」が、それでもなお、屡々天才を補い、その自信を高めるのに役立つものが「簡明な戦いの原則である」と。

将帥の最高の資質として次の二つを指摘している。

   1.重大な決定を下すことができる高度の責任感を持っていること。

   2.危機に直面してもたじろがぬ勇猛心を持っていること。

ジョミニの軍事理論は旧ソ連赤軍に継承されると共に、マハンにより最もよくアメリカ陸軍にと伝えられた。マハンは新興国アメリカの海上勢力の拡大のための
理論を展開する上で大いに参考としている。

参考:ジョミニはスイス陸軍少佐からナポレオンのフランス軍に移り、13年間精励し、陸軍少将まで栄達したが、国籍に関わる軽視に耐えていたが、ねたみ等で中将昇進を阻まれ、フランス陸軍に見切りをつけてロシア軍に遁り、アレクサンドル一世に謁見し、直ちに陸軍中将に任ぜられ、侍従武官として仕えることにな
った。

 

 B)クラウゼヴィッツの軍事理論 
 

18世紀の理性の時代の終りと共に、合理的要素以外のものの重要性がにわかに再認識され、即ち、計量することのできないものが合理的で計算され得る要
素に劣らず影  響を及ぼすように思われてきたのである。このような新しい知識の趨勢、即ち、個々の現象の共通の特徴の重要性の認識、即ち、科学以外
の創造的かつ直感的な要素を認  めて、これを軍事理論に導入したのがナポレオン時代、22年間フランス陸軍士官として戦い抜いた「自由プロイセン人」ク
ラウゼヴィッツである。その思考の産物「戦争論」は  未完の軍事理論で、コレラで急逝(51歳)後に、夫人により未完成のまま世に出された。

 
その思想はカントの影響による理想と現実の両極端を認識しようとする「思考の二重性」をあえて対立させようとしなかった難解な論述は複雑なものがある。し
かし、戦争論  に対する最大の貢献は心理的要因を強調し、それに相応しい哲学的表現をもって戦争理論の中に人間精神の無限の重要性を解き尽くしてと
ころにある。その理論は攻撃よ  りも防御に、しかも攻勢を秘めた防御に一層高い価値を置いた。この精神力の最高の具現者としての将帥について多くを述
べている。

  
クラウゼヴィッツ(1780〜1831年)はマキアヴェリによってなされた多くの示竣を検討することに極めて注意深かったのみでなく、マキアヴェリが「軍事問題に頗
る健全な批判  力を持っていたこと」を認めている。これはクラウゼヴィッツがマキアヴェリの軍事思想の構成範囲を遥かに越えた新しい特色を軍事理論に導入したにもかかわらず、その基礎的な出発点においてはマキアヴェリと一致している証拠でもある。即ち、自らの学説の中にマキアヴェリの基礎的理論を合体
したのである。

 
クラウセヴィッツはフランス革命に続きナポレオン戦争という四分の一世紀におよぶヨーロッパ大陸全土の大戦乱の時代にプロイセン軍の少壮士官として従軍
し、また諸国民族戦争の際はナポレオンの戦術戦略を外部から批判的に洞察して戦争哲学の対象にしたのである。


参考:クラウゼヴィッツはナポレオンの没落により、プロイセン軍に復帰して大佐に昇進(31歳)、その後、軍団参謀長に赴任(35歳)し、従軍体験はこの時点で
終りを告げた。

 
 クラウゼヴィッツの戦争論 

・政治力の基礎は軍事力である。そして金(経済力)はもし実際の軍事力に変えられる時にのみ政治力を構成する。

・戦争において軍の戦力は、これを指揮する将帥の精神により決まる。

・危険と責任感は名将の判断力を活発にするが、凡将の判断力をだめにする。

・名将は教養の高い国民の中からでなくては生まれない。将帥の知識は能力となっていなくてはならない。

・将帥の真の価値は、人目をひく名作戦にはなく、目的を達成するか否かにある。

・最高の地位にあって胆力のある将帥は稀である。恐ろしさがわかるからである。

・彼我双方の側において、それぞれ作用する諸力の間に成立する方程式がいかに多くを含んでいるかに思いを致すならば、双方のいずれが相手に対して優位を占めるかを決定することのいかに困難であることが分る。時には一切の推定が想像力の細かい糸に懸かっていることすらある。

・地位の高まるにつれて無能になる者がいる。単純に勇敢だけでは将帥にはなれない。

・如何なる名参謀も将帥の決断力の不足だけは補佐できない。

・各級指揮官は、隣接部隊が任務をつくしているか否かを尋ねる権利はない。

・戦争は政治における異なる手段をまじえた政治の継続に外ならない。
   
・政治は知能であり、戦争は道具に過ぎない。

・政治は戦争を胚胎し、戦争はこの母体の中でひそかに発達しているのである。

・精神的原因および効果は槍の鉾先をなすところの精錬せる鋼鉄のようなものである。

   この「戦争論」の帰結するところは「征服的な殲滅戦略」にある。いわゆる「絶対戦争」を標榜してい る。



 3) クラウゼヴィッツの「戦争論」と日本の関係
   

明治以前の我が国の軍事思想は四書五経の王道的経学と表裏一体をなす七書の覇道的兵書において伝えられてきた。
  
明治の洋式健軍にあたり、日本陸軍は独逸(プロイセン)を模倣した。海軍は創設期のオランダ方式からイギリス式に変換した。
  
伊藤博文により進められた日本帝国憲法が主として新成立のドイツ帝国の例に倣したように、陸軍の山県有朋がドイツ陸軍の参謀総長モルトケに要請して招
聘したメッケ  ル少佐により陸軍大学校の基礎が確立された。参謀本部は陸軍省内の一部の機関から最高機関として独立するとともに、ドイツの例に従って
統帥権は大元帥陛下たる天皇  に直属することになった。この時から我が国の軍事思想の中にクラウゼヴィッツの「戦争論」の影響が陸大を中心に波及し、
その及ぼした影響は極めて大きいものがあった。
 

 統帥綱領(昭和3年に軍事機密として制定。終戦時に焼却破棄) 
 

・戦勝は将帥が勝利を信ずるに始まり、敗戦は将帥が敗戦を自認することにより生じる。故に、戦いに最後の判決を与えるものは実に将帥にある。
 

・戦争における勝利は計画の巧みなるよりも、実施において堅忍不抜なるものに帰す。
 

・将帥の真価は難局に際して発揮される。危急存亡の秋に際会すると、部下は仰いでその将帥に注目する。
 
 
・参謀、特に参謀長を信用せず、しかもこれを更迭する英断のない将帥の統率は多く失敗する。
 

・将帥の心を圧迫するものは、(1)重大な責任、(2)勝敗を争う実敵、(3)上下指揮官の意思の疎通、(4)国内の世論、政治の干渉、(5)戦における状況の不明と錯誤である。
 

   
・将帥の価値はその責任感と信念との失われた瞬間に消滅する。
 

・大軍の統率とは方向を示して後方(補給)を準備することである。
 

・統帥の根源は戦史であり、戦史を支配するのは人間である。
 

・最も有利な状況と最も不利な状況とは見たところ同じである。戦力の集中による敵陣の突破が 成功する最も有利な時と、包囲されそうになった最後の段階とは全く同じ形になる。(同じ状態でも、名将が見ればチャンスであり、凡将が見ればピンチでる)。
  

作戦要務令(第1、第2部は昭和13年に発布、第3、第4部は昭和15年発布。軍事秘密。 精神的要素を強調、包囲殲滅、機動および独断の推奨などの特性を持つ)。 

作戦要務令は綱領(11項)、総則(3項)および第一部(戦闘序列及軍隊区分、指揮及連絡、情報、警戒、行軍、宿営、通信の各篇からなる421項、第二部(戦闘
指揮、攻撃、防御、追撃および退却、持久戦、緒兵連合の機械部隊および大なる騎兵部隊の戦闘、陣地戦及対陣、特殊の地形における戦闘の各篇からなる372項)、第三部(輸送、補給、給養、衛生、兵站、線場掃除、気象、憲兵、宣伝の実施及防衛、陣中日誌及留守日誌の各篇からなる317項)、および第四部(軍
事機密扱いで追加された特殊戦闘要領、特殊陣地の攻撃、大河の渡河、湿地および密林遅滞における行動、ガス使用、上陸戦闘を示したものである)からな
る。

このように、作戦要務令は考えられるあらゆる事象に対する行動基準を示す膨大な規程の集大成であり、諸事マニュアル化を目指すアメリカがこれに着目したのは当然であろう。

 

・指揮官は軍隊指揮の中枢にして又団結の核心なり。
 
・為さざると遅疑するとは指揮官の最も戒むべき所とす。是この両者の軍隊を危殆に陥らしむることその方法を誤るよりも更に甚だしきものあればなり。
 

・指揮官の位置は軍隊の指揮に重大な影響を及ぼし、また軍隊の指揮を左右する。故に、指揮に便利で、連絡が容易であると共に、その権威を軍隊に及ぼしうるように選定する。

・独断専行: 常に上官の意図を明察し大局を判断して状況の変化に応じ自らその目的を達し得べき方法を選び、以って機宜を制せざるべからす。

・原則、法則の運用の妙は一に其の人に存す。固より妄りに典則にそむくべからず、又これに拘泥して実効を誤るべからず。宜しく工夫を積み創意に努め、以って千差万別の状況に処しこれを活用すべし。                               

 

                                     
                                      
                                      「軍事機密」 統帥綱領 

  「相関図」


                  

                                                                                                                                  

  [参考文献]
  
    1. 兵法「孫子」
    2. 孫子の読み方
    3. 西欧近世軍事思想史(防衛大学校編)

    4. チューザレ・ボルジア伝記
    5. クラウゼビッツの「戦争論
    6. 「統帥綱領
    7. 作戦要務令、軍隊内務令(日本文芸社編)
    8..  日本陸軍 作戦要務令(熊谷直)
    9..  作戦要務令第二部詳解 威武堂(昭和14年6月15日印刷)
    10  軍隊内務令
    11  戦陣訓 
    12  自衛隊「指揮・幕僚教範」
    13  「統帥指揮およ戦術」 岡村誠之.                                      
    14  米国陸・海・空軍士官候補生読本
    15  「マハンの海軍戦略」 アルフレッド・Tマハン

     


  * 
米国陸・海・空軍士官候補生読本基礎編の内容目次

     1.リーダーシップの概念
      定義、見解の多様性、アプローチ、三次元概念、対象、任用性、制度性、民主的、独裁的、権威的、インスピレーション性、公式
   
     2.心理的研究の歴史的背景
     概論、心理学の歴史的背景
 
     .3.人間行動の研究における科学的方法
       懐疑主義、客観性、変化亜への即応性、分類、要約

     .4.集団の構造と機能
      集団の性質、規模、構造、密度、自然集団と統制集団、集団は何故発生するか、
        A.集団の特徴、
          越境性及び非越境性、内的団結力、潜在勢力、極性化、安定性
        B.個人と集団
          集団との一体感、中心関与、集団への参加、リーダーへの依存
        C.集団構成への欲求
          集団関係の安全、集団内の自我の地位、集団による地位、満足の様式、集団参加からの報酬、士気と集団の機能、要約
   
    実践編は、
       1.道義的リーダーシップ
       2.士官の役割
                   
       演習、実践の徹底反復

                              
                                            
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